+++ 価値創造・知識労働の生産性とITについて考えよう 
知識資本主義とでも言うべきビジネスパラダイムの変化に対応しようとすれば、当然、知識労働の生産性向上へと向かうことになる。

まず、問題になるのは知識社会、知識資本主義の正体です。多くの人がコンピュータを使うようになったから、とか肉体的な労働シーンが減って多くの人が机に向かって仕事をするようになったから、だから知識社会だという訳ではないでしょう。
知識と経済や経営の関係を考えるには、それ以前のパラダイムを把握する必要があります。
そもそも古典会計には、知識を資産として評価計上する概念がないので、知識資本や知識資本主義という言葉には、未だに宙に浮いたような中途半端さがあります。
従来、日本企業の多くは銀行を経由して資金を調達してきました。その間接的な資金調達を担保するものは、基本的に土地、建物、設備、証券・債券、現金といった物理的に実体を伴うものです。そういった分かり易い実体に信用創造の根拠を見出せるから経済規模は拡大して来た訳です。これらの現物は、「実」を重んじる日本人の感性に容易に受け入れられるものでした。
土地、建物、設備、証券・債券、現金は具体的な数値に換算して評価が可能です。一方、知識を具体的な経済価値として数値化し、それを評価するすべは持ち合わせていません。知識やアイデアなど、そういったものは所有が難しく、所属が曖昧で移ろい易い。そうなると従来の物質資本主義的な評価は非常に困難になるということです。
90年代初頭から現在まで、土地の経済価値は減価を続けており、平均株価はピーク時の約1/3です。これら現物資産による評価だけではリスクが大き過ぎることは誰の目にも明らかでしょう。
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それでも、企業が銀行から資金融資を受ける際に、その企業の知識資本が何らかの基準によって評価されて融資が実行されるケースはまだまだ少ないと思います。かつて加熱気味だったベンチャーキャピタルも、企業の知識資産をどう評価すればよいのかを模索する過程で行き詰まっているようです。
知識資産、知識資本に対する評価、これは、これからの大きな課題です。しかし、現実には知識資本に由来するアイデアや計画によって実行され、その実行プロセスも知識資本に依存しているというビジネスで溢れている。
例えば、コンピュータプログラム(ソフトウエア)という商品開発から商品販売までのビジネスプロセスは、その全体がほぼ知識資本に依存しています。そしてソフトウエアだけがとりわけ知識依存だという訳では無く、農業、漁業、畜産、林業、モノ作りから物流、店舗運営、あらゆるサービスの提供は知識に依存しています。
全産業のあらゆるシーンは、ごく当たり前に知識労働によって支えられているはずです。ということは、知識社会化による知識資本主義などと昨日今日始まった事態のように言うけれど、昔から何も変わっていないではないか、いったい何が違うのか?ということです。

マクロに見れば、市場やユーザの価値認識(価値観)が変わったと考えられます。
世界の株式市場に於いて、主要企業の株価時価総額(その企業の市場価値)とその順位変動を見れば、圧倒的な土地、建物、設備、証券・債券、現金などの所有によって、その物理的な企業資産が評価された時代から、それとは比較にならないほど物理的な所有が小さな企業が、物理的な形にすることが出来ない知識資産によって評価を受ける時代への変遷が表現されています。
その評価は、市場を構成する一人一人の心の中に視覚化された物理的な実体を伴わない価値に由来しているはずです。市場からの直接投資を受けていない大半の企業では、この変化の実感は得にくいと思われますが、世界の主要企業に起こっている順位変動が市場の要請を反映していると見れば、市場やユーザの価値認識(価値観)が変わったことが了解されるのです。

価値認識が変わる、価値観が変わるという時に、もう一度「価値」が産まれてくる過程について考えてみるのもよいと思います。これを考えるのはあまりにも根底的過ぎるかもしれません。本気で取り組めば膨大な記述と参照が必要になるでしょう。ですから、なるべく今日的な焦点に絞って考えてみたいと思います。

まず、「価値」という言葉について国語辞典で拾ってみます。
【価値】(1)物がもっている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。値打ち。有用性。「―ある品物」「―を損なう」「言及する―もない」〔幕末までは「価直(かちよく)」が用いられた〕
(2)〔哲〕 善きもの・望ましいものとして認め、その実現を期待するもの。内在的なもの・手段的なものなどにわかれるが、特に、真・善・美など、普遍妥当性をもった理想的・絶対的価値をいう。
(3)〔経〕 商品の価格の背後にあって、それを規定しているもの。その本質・源泉のとらえ方によって客観価値説(労働価値説)と主観価値説(効用価値説)とが対立する。
【価値法則】商品生産の基本的経済法則。商品の価値はその生産のために必要な労働の量によって決まり、この価値にしたがって商品が交換されるというもの。
【価値観】いかなること,いかなる物にいかなる価値をおくかという個人個人の評価的判断。
【価値自由】〔(ドイツ) Wertfreiheit〕マックス=ウェーバーの学問論の立場。経験科学は価値判断に立ち入ってはならないとする。実証主義をめぐる今日の論争において、しばしば批判される。没価値性。
【価値分析】〔value analysis; value engineering〕製品や部品の本質的機能を得るための最小原価を求める手法。この本質的機能には使用上の機能だけではなく,顧客の要求する外観・魅力なども含まれる。価値工学(VE)。VA。
【価値論】(1)〔axiology〕倫理的・美的・宗教的価値についての研究。価値判断に立ち入って普通妥当的価値などを定立する規範的立場と、価値に関する概念や命題を分析するメタ規範的立場とがある。価値哲学。
(2)商品の価値の本質、価値の形態、価値形成過程など、価値をめぐるマルクス経済学上の理論。
【価値判断】ある事柄について、主観の評価による是認あるいは否認を言明する判断。「この鳥は青い」は事実判断だが、「この鳥は美しい」は価値判断。
【価値連鎖経営】バリューチェーンマネジメント 【value chain management】多国籍企業などが開発から資材調達・製造・販売に至る業務の全過程を,世界全体で最も効率的に行う経営手法。価値連鎖経営。VCM。
三省堂「大辞林 第二版」、三省堂「デイリー 新語辞典」より   <つづく>

知識社会化、知識資本主義にITが絡むのはなぜか?

WEBショップに限らず商品販売を行う業態では、在庫と商品ジャンル(区分)に対する考え方が非常に大切なポイントになります。
当然ですが、在庫というのは仕入れた(買った)が、販売して(売れて)いない商品です。それでも、支払いは発生し、期末には資産計上されて課税対象にもなるのですから、在庫ゼロが理想的です。実のところ在庫はゼロにしたい訳です。
しかしながら、店頭在庫ゼロでは店舗そのものが成立しませんから、どうしても1個以上の在庫は必要になります。もっともオンライン販売のバーチャルショップなら在庫ゼロも可能かもしれませんが...。
では、なぜ在庫を持つのか?、出来れば無い方が良い在庫を持つのは欠品(品切れ)を防止するためです。
その商品を買うかもしれなかった顧客の来店時にその商品が欠品していた、ということの意味が問題です。
商品1個の欠品が、単純にその欠品商品の販売機会を1回だけ失うことに留まらない可能性が大きいのです。勿論、これが独立事象であっても、問題です。しかし、より深刻な問題は、その店舗が最も大切にするべきロイヤルカスタマー(上位顧客)の信頼を損なう可能性が高いのです。
売上げ管理と顧客管理がコンピュータシステムによって行われるようになり、顧客の消費行動が解析可能になって初めて解ったことですが、一般に、店舗の売上げの60〜70%は、上位顧客(全顧客の20%)によってもたらされるということです。
さらに、ショッピングバスケットの内容を加味して分析すれば、ロイヤルカスタマー(上位顧客)のショッピングバスケットには、ABC分析でBやCランク以下の商品が含まれていることが多い。
従来のタンピン管理とABC分析による管理と認識によれば、Aランクの商品が欠品することは販売機会の損失が大きく、欠品を防ぐための注意が行き届いているかもしれませんが、B、Cランクから順位の下がる商品が欠品することの深刻な意味は発見されていませんでした。
しかし、売上げの60〜70%をもたらす、全顧客の上位20%しかいないロイヤルカスタマーを失うかもしれないとなれば、B、Cランク以下の売上げの少ない商品だからといって欠品を許容することは到底出来ないはずです。   <つづく>

コモディテイのデフレが進行する先進国経済下で利益の源泉を探すとすれば、知識労働の生産性向上を第一に挙げなければならないでしょう。
米国でウインストン・テイラーが職人的モノ作りのプロセスに近代的なエンジニアリングのメスを入れて100年の間に200倍もの生産性の向上が見られたそうですが、1970年代に入ってこの生産性向上の上昇カーブは鈍り始め、1980年代には横ばいの状態になります。
知識社会への移行が始まったことが要因ですが、これに対するソリューションは2004年になった今でもまだまだ模索中という状態です。

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